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愛のぷよリスト鬼龍(キリュー)が紡ぐ戦いの記録・・・それがぷよます(ぷよクエとかデレステとかスクフェスのゲーム感想を書くブログです)

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Vtuberはなぜ廃れたか(前編)



登録者数267万人、
半年前には806万再生も
余裕のよっちゃんで達成していた
バーチャル・ユーチューバー
キズナアイ


NHKにもコメンテーターとして
出演していた彼女ですが





いろいろあって現在、10万再生も
いかない状況になっています。







Vtuber四天王の1人である
ミライアカリはさらに不味い。


再生回数5万ちょっとなんですよね。








猫宮ひなたも
1年前は30万~60万再生
余裕っすよって感じだったのに

今は10万いけるか?
となっていますし








わりと健闘している
月ノ美兎だって1年前は
30万再生が普通だったわけです。







大体、動画1本あたりの収入は
再生回数×0.1~0.02
と言われています。


つまり、1万回再生なら
甘く見積もっても
千円しか儲からないのです。


最低でも10万、
出来れば20万はないと厳しいし

Vtuberの場合、大半は
企業が立ち上げたものなので
もうちょっと稼いでくれないと
会社としては困るのではないでしょうか?





もちろん、グッズやイベントなど
動画以外の利益で穴埋めすることは
出来るので一概に運営が苦しいとは
断言できませんが、


それでも世間一般の関心は
以前よりも下がったなと感じます。


今回の連載記事は
Vtuberの凋落の原因を探る
ことを目的として作りました。




一言で言えば

この現象は
メディアミックスの弱点が
露呈された形で現れた

といったことになるでしょうか。


声優が降板したとか
アニメが爆死したとか
個別の原因はあるでしょうが

大きな要因としては
メディアミックス型の作品では
もうタピオカミルクティー的な
稼ぎ方しかできない

つまり、ごく短期間に
消費者から搾れるだけ搾り取る
ような稼ぎ方しか出来ないように
なりつつあるのでは・・・?

と思うんですね。





では、メディアミックスとは何か?


その問いに答えるために
近代小説とは何か?
という地点から考察を始めたい
と思います。


近代小説。


それは簡単に言えば

固有の作者と
物語、歴史を持つ作品

のことを指すんですね。



















明治時代以前の文芸作品は
どうだったのかというのを
考えてみるとわかりやすいと
思います。



うり子姫とあまのじゃく

という民話を例にすると、


このお話は美しい娘が
お嫁に行くことになるが
天邪鬼という鬼に妨害される

というあらすじこそ共通していますが
鬼に殺されるバージョンと
殺されずに結婚するバージョンの
複数の結末があるんですね。

そして、誰が書いた話なのかも
わからない。というか、
1人で書いたのかすらわからない。

正確には複数の人間が
伝言ゲームのように話を伝えるうちに
徐々に形が整えられていった。

それもいくつかのバージョンに
分かれていった。そういう作品です。




ネットどころか
本すらろくにない時代、
物語を伝える媒体は人間の口でした。

今風に言えばクチコミです。


平家物語ってありますよね。


あれは琵琶を持った坊さんが
楽器を演奏しながら教え説く形で
全国に広まりましたが


実は、話す人によって
内容が違っているんですよ。





これは近代的な作品では
ありえないことです。

話の内容を勝手に変えるのは
作者以外、ゆるされない。


ドラえもんという全40数巻の
固有の物語が先にあって
出版社はそれを売る。

つまり、
話を作る側と話を売る側、
そして読む側が
はっきり分けられているのです。





これに対して、近代以前では

1人の人間が完成済みの物語を
世に送り出すというのは
むしろマイナーであって


未完成の作品が
不特定多数の人間を介して
複数のバージョンへと
分裂して紡がれていく方が
メジャーだった


と言えます。





現代でも怪談では
そういう作られ方が
ポピュラーですね。

例えば
トイレの花子さん


①誰もいないトイレのドアを
 三回ノックすると返事をしてくる

②おかっぱに
 赤い吊りスカートを着た
 小さな女の子の霊

という部分だけが共通で

①どういう性格をしているのか
②人間を襲うのか襲わないのか

といった細かい設定は
その時代や地方の影響を受けながら
話し手がアレンジするわけです。


近年では
萌えキャラになったり
スマホをいじくったりと
かなり現代的な霊になっていますね。






八尺さま

というネット上で広がった怪談。


大女の妖怪に命を狙われて
色々困る話ですが








これは「やまおんな
という怪談がベースになっています。



山に薪を拾いに行ったら
美女がいたのだけれど、
松の木で胴体が見えない。

なんとなく薄気味悪いので
逃げるようにして帰ったのだが、

よく考えてみれば
松よりも高いということは
3M以上はある大女ではないか

やはり妖怪の類だったに違いない

という話です。

(この怪談にも
 いくつかのバージョンがあります)


現代の怪談の中にも
過去の怪談を現代風に脚色して
新たに書き直しているケースがある
わけですね。


この場合、
読者が作者になっていて
つまり過去の話を読んだり
聞いたりした人が、新たな作者に
なって物語を創作しているのですが、

この
読者と作者の境界が無い
という点こそ、明治以前の文芸作品の
特徴だったと言えます。





まとめると、一部の作品を除いては
近代以前の文学では

ある話を聞いたり
読んだりした誰かが
アレンジするようにして
新たな物語を作っていく。

その結果、
いくつものバージョンが
併存して語られていく。


というスタイルを取っていました。

その際、
複数の読者が
「語る」という行為を通じて
ストーリーの
更新作業に参加していく
ので、結果として

作者と読者の境界線が
ぼんやりしているんですね。



こういう創作方法が主流だったのに
対して18世紀(諸説あり)から
だんだんと、そして19世紀から
はっきりと近代型の小説が台頭する
ようになりました。


次回では某有名漫画を例に
その点についてお話をしたいと
思います。

~続く~

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プロフィール

HN:
鬼龍(キリュー)
性別:
非公開
自己紹介:
愛と勇気と誇りをもって戦う孤高のぷよリスト。好きなものは勝利という名の美酒、嫌いなものはネトウヨです。


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