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ぷよます!!

愛のぷよリスト鬼龍(キリュー)が紡ぐ戦いの記録・・・それがぷよます(ぷよクエとかデレステとかスクフェスのゲーム感想を書くブログです)

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新サクラ大戦レビュー2



前回の続き。

2010年代を私なりに総括してみると
震災の記憶の継承と忘却だった気がして

社会の情勢に煽られるようにして
娯楽作品でも

廃校あるいは廃部の危機の中、
精神的に一度は死にかけた人間が
もう一度立ち上がるストーリーというのが
大変流行したと感じる一方で

従来の作品では
あくまで現実に向き合うための
成長のきっかけでしかなかった異世界が
むしろ新天地のようにして描かれ、
人生をリセットしていく作品も
これでもかと作られました。




このような潮流において
新サクラ大戦はどのポジションに
位置しているのでしょうか?


多少のネタバレを交えながら
同作の評価を試みてみます。




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2010年代を振り返って(新サクラ大戦レビュー1)



セガの久々の大作『新サクラ大戦』。

具体的な内容に踏み込む前に
2010年代の娯楽作品の潮流について
話をしたいと思います。


つまり、どういうジャンルが
流行ったか振り返るよということですね。

なお、この記事は
予習編であり、サクラ大戦についての
言及はほぼありません。悪しからず。



(元日にこの格好である)


2010年代のアニメーションや映画を
一言で振り返ると

「再生」を
 テーマにした作品が
大変多かった

ということが指摘されます。


さらに細分化すると
「部活再建モノ」と「異世界転生モノ」
ですね。





曽野綾子「東電に責任はない」
「放射線の強い所は、じいさんばあさんを行かせればいい」



2010年代において
大変大きな影響を与えたのが
震災の記憶でした。


私は宮城県出身ということもあり、
まさに自分に直結する事件でして、

震災当時、この国を愛する人たちから

「被災者は政府に甘えるな」
「東電は悪くない」
「震災は天罰である」

といった心温まるメッセージを
多々頂いたことを今でも覚えています。


言論界の巨大な星 深い教養が生んだ正義の人

「渡部さんの一貫した関心は、
 日本の現状に対する憂いでした。
 
 国家の基本問題である外交、
 防衛、教育がなっていない、と。

 そういった国体の問題、
 つまり皇室の問題にも関わる憲法について、
 これを早く改正しなければ、と終始一貫説いていた。

 その点で安倍晋三首相を支持し、
 書斎派の知識人でありながら
 実際の運動にも一生懸命に携わった。
 勇気あるまれな人だった」




眼前で苦しんでいる被災者にむけて

やれ国に甘えるな、
やれこの機に心を入れ替えろ

と宮城の方言で言えばずんけない
(人情がない)言葉を平然と言ってのける。

彼らは一言目には
国を守ると言うのですが、
私たち一般人を守ってはくれないんだな

ということを嫌っちゅーほど実感しましたね。


その後、去年の台風をはじめ、
多くの災害があり、彼らが称える
国士たちはその度に赤坂で宴会をひらいたり
自宅でラグビーを観戦したりして

全力でこの国を守ってきたわけですが、
そりゃーまーねー・・・

反省してないんだから
9年間、まったく進歩しないだろ
って私は思うぜ?


(善子のかわりにやっぱりこいつが当たった)


話を元に戻すと、

あの震災によって一部地域の住民は
文字通りの壊滅や喪失を味わって、
日常をもう一度作り上げていったわけです。


そうした記憶っていうのは
ある程度、抽象化されてアニメにも
反映されていきました。


「ガールズ&パンツァー」と
「ラブライブ」はその代表的作品だと思います。




ガルパン(2012年9月~12月)は
廃校寸前の母校を戦車道で
実績をあげて立て直そうとする話だし

ラブライブ(2013年1月~3月)も
廃校寸前の母校をスクールアイドルで
実績をあげて再建しようとする話でした。

ボロボロになったものを
もう一度、再生させるというのが
根幹にあって、それは復興と並行するように
して語られていったのですね。





新サクラ大戦も
基本はこの流れをくんでいて、

かつては栄華を極めた帝国華激団も
解散寸前で、街の防衛も上海華激団に
まかせっきりという

ほぼゼロの状態の時に
主人公である神山誠十郎が赴任してくる

という復活の物語になっていました。



(わりと余裕があるように見える)


彼自身も海軍のエリートでありながら
ある事件が原因で挫折をしていて、


第1話では彼が自分と向き合い
失った情熱を取り戻す

というのが見どころでした。


その辺は
ガルパンの主人公である
西住みほと通じるものがありますね。




エリートが庶民と邂逅することで
自己を見つめ直す、「私」を再発見する
という物語は近代小説にもよくあります。

ロシア文学なら
ドストエフスキーの『罪と罰』は

青年ラスコーリニコフが
娼婦ソーニャとの出会いを通じて
悔悛の意識が復活する話ですし

その逆に森鴎外の『舞姫』は
ドイツに派遣されたエリート官僚である
豊太郎が踊り子のエリスと出会い、

最終的に「私」を捨てていく話です。


西住みほの復活と大洗学園の再出発。
神山誠十郎の精神的復活と帝国華激団の再誕。


「私」を見つめ直すことと
「社会」を見つめ直すこと
 
そこから再生していくという
流れが同時進行していくんですね。


ガルパンにせよ新サクラ大戦にせよ
少しずつ仲間が増えて装備が改善されて
いくのですが、その視覚的再生は
主人公の心的再生とリンクしているわけです。





まとめると、

ゼロになりかけの所からの
再出発というストーリーが大変ウケた

となりましょうか。


やや変則ですが、
『Fate/Zero』もバッドエンドではあるけど
それはStayNightのグッドエンドへと続く
再生への物語として位置づけられますし、

『響け!ユーフォニアム』も
 情熱を失っていた器楽部が再出発する
 話であって、

そこでは「やりなおす」という言葉が
キーになっていたと思います。




で、まぁ
これだけに注目するとなかなか
2010年代のアニメ面白いじゃんって
話になるのですが、

「再チャレンジ」というのが
「リセット」と同義にされていく傾向も
 同時に展開されたのですよ。



異世界転生とかループと呼ばれる
作品の大量生産がありました。

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アナ雪は本当に名作なのか?



今日の金曜ロードショーで放送された
『アナと雪の女王』。


世界的にも大ヒットした映画ですが、
こちらのサイトによると


ーーーーーーーーーーーーーー

半年以上の異例の
ロングランヒットともなった『アナ雪』は、
主題歌「Let It Go〜ありのままで〜」が、
街でもお茶の間でもヘビーローテーションされるなど、
子どもだけでなく大人も夢中に。

社会現象も巻き起こし一大ブームとなったが、
やはりその最大の要因は主人公のひとり・エルサが
新しいプリンセス像を提示したことにあるだろう。


ディズニー映画といえば、それまで
“受け身のプリンセス”“恋愛至上主義”が顕著だったが、
『アナ雪』はそうした既存のヒロイン像を一新、
王子さまとの恋愛の成就をハッピーエンドとせず
男性から自立した存在として描いた。


この新しいプリンセス像に、
多くの論客たちも沸き立った。

批評家の東浩紀氏や実業家の夏野剛氏、
脳科学者・茂木健一郎氏、評論家・中森明夫氏、
荻上チキ氏といった面々が
さまざまな『アナ雪』解釈を行い、
数多くの『アナ雪』論が発表された。

https://lite-ra.com/2019/11/post-5092.html

ーーーーーーーーーーーーーー

だったそうです。




マジで?
と思いました。

個人的には
語るまでもない映画なのですが(汗)






アナ雪に対する意見は
こちらのレビュアーさんのそれとほぼ同じ
なのですが、ここではプラスアルファで

そんなに斬新な女性像か?
という点について言及しようと思います。







①本当に斬新だったのか?

自立した女性というテーマなら
リトルマーメイドのアリエルで
すでに描かれていると思うんですよね。


海王トリトンの末娘アリエルは
地上の世界にあこがれる少女ですが、

この作品では
人間は魚の敵として描かれていて、
人間界について知ろうとすることは
タブーとして扱われているのですね。


ですから、洞窟の中に
捨てられたパイプやフォークを集めて
ちょっとしたコレクションを作っている
アリエルの行為というのは
「実にけしからんこと」に該当するわけです。




娯楽作品では、しばしば父親というのは
社会の象徴として表現されることがあって、

例えば、ドラゴンボールでは
バーダックは悟空の父親であると同時に

サイヤ人という民族、
破壊や侵略によって成り立っている
社会に生きる人間の代表でもあるわけです。


リトルマーメイドやアラジンでは、
古い掟に縛られる社会というのが確固として
存在していて、その常識から外れたものとして
ヒロインが位置づけられているのですけど、

そういう意味からみれば
アリエルやジャスミンって普通に
自分の意志を持っている女性なんですよ。


そういう掟VS自由というのが
トリトンとアリエルとか
スルタン王とジャスミンとか
父娘のけんかを通して表現されています。




そういう映画を見た上で
フェミっぽい何かの視点から
肯定的に評価するアナ雪論を読むと


男性から自立するためには
恋をしちゃいけないの?

という疑問がわくんですよね。


過去のディズニー作品を見ても
恋愛をして、なおかつ、自立した女性って
結構いますよ・・・?(汗)





②メガラがガン無視されている


私の知る限り
最も人間らしい
ディズニーヒロインは

映画『ヘラクレス』に登場した
メグ(メガラ)
っていうキャラは
確実にそれに当てはまると思います。


この人、恋人を死の淵から救うために
冥界の神ハデスに魂を売ったんですけど、

生き返った彼氏が
よそで女つくって逃げちゃうんですよね。


残ったメグはハデスに自由を奪われて
命じられるままに悪事に加担していきます。

深く傷ついたまま、
もう誰も愛さないと心に決めて。





ディズニーって
初恋が成就するのが鉄則なんだけど
メグだけは異例なんですよ。

そういう意味ではね。


劇中でもセクシーな衣装やしぐさで
男性を翻弄する悪女的な立ち位置で
描かれていて、実際、この映画の人物たちには
メグは悪女として見られているんだけど、

ヘラクレスだけはメグを信じるんですよ。


怪力をコントロールできないために
村の人間から厄介者扱いされて
孤独を感じていた彼は、

自分はここにいるべきではない、
きっとどこかに受け入れている場所が
あるはずだと、神界オリュンポスに登るために
ヒーローになろうとするんですけど、

メグといると自分が一人ではない
ような気持ちになるんですよね。


メグ自身も純粋な心を持つヘラクレスに
次第に惹かれていくようになります。





I won't say I'm in loveっていう
持ち歌があるんだけど、

過去の出来事から
自分の恋心を認めようとしない
というか

本当は好きなんだけど
好きと言えないメグの良い意味で
ひねくれた性格を表したもので


今でもヘラクレスといえば
この歌とGo the Distanceを思い浮かべますね。


人間ってそう簡単に自分を理解できないものだし
理解できても簡単に表現できるものではない
と思うんですけど、

そういう点から考えると
このキャラは本当にリアルな人間で

好きなディズニーヒロインと言われれば
この娘とジェーン(『ターザン』のヒロイン)
を筆頭に上げたくなりますね。私は。




そんなメグですが、
終盤では自由を得るために
ヘラクレスをだましちゃうんです。



狂言と知らずにメグを助けるために
ヘラクレスは怪力を失って
死にかけるんですけど、

結局、メグはハデスを裏切って
ヘラクレスをかばって死ぬんですね。


悲しむヘラクレスに
メグはこう語りかけます。


「人間て馬鹿なことをするのよ。
 恋をすると」


その後、死んだメグを探して
冥界に降りたヘラクレスは

かつてメグがしたことと同じ契約を
ハデスと交わして死の滝に飛び込みます。






ずっと神族になりたくて
そのために自分の力を使っていた
ヘラクレスがここで初めてメグのために
命をかけるんですねー。


その後の展開は
ネタバレになるから割愛するけど

はっきり言って、
こんなに激しいヒロインって
後にも先にもメグだけですよ。


だから、私はアナ雪が嫌いなんじゃなくて
アナ雪を上げるために過去に登場した
魅力的なキャラクターを無視するやり方が
気に入らないんだろうなと思います。

もっと見てくださいよと。そんな感じです。





ちなみに
公式のディズニープリンセスに
メグはカウントされていません。


王女じゃないベル(美女と野獣)は
メンバーに入っているんだけどね。


基準がよくわからないんだけど、
とにかく話題にすらあがらない。


いわゆる黒歴史って奴です。
ウケるーwww









・・・・・・・・・・・・・・











結論としては、
どうせディズニー映画を利用して
フェミっぽい何かを気取るなら

世間にあまり知られていない
名キャラクターについて語って欲しかったな
と思う次第っすね。


リトルマーメイド以降の映画を
ざっと見るだけで書けるでしょう。

それくらいは。


流行りに乗っかって
それっぽい記事を書かれるのは
ちょっと頂けないなと思いますよ。うん。






・・・ここまで書いていて
相当、時間を使ってしまいました。

信じられない。
30分ぐらいで終わらせるはずだったのに。


ぷよクエの話は明日になりそうですね。

その前にシャニマスの記事を書く気もするけど、
まー何とか一本書きたいところです。


こういう決意表明をすると
大体、私は宣言通りに動かないんだよなぁ

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宇崎ちゃんポスター問題



先に言っておくと、

あるイラストを差別的とか
差別的じゃないと評価を下すのは
結構、難しいと思います。














気ちがひといふおどろしき言葉もて
人は智恵子をよばむとすなり


これは昭和初期に活躍した詩人、
高村光太郎が詠んだ歌で

精神分裂症を患った奥さんに対する
世間の冷たい反応を責めたもの
なんですけど





このポスターを
差別的だと騒ぐ人たちって

「きちがい」というワードが
 使われていることを理由に
 光太郎の詩も攻撃しそうだな

って思うんですよね。




重要なのは
その表現が何のために使われているのか
であって、表現そのものを良い・悪いで
判断して排除したって、

彼らが求めているはずの
差別撤廃は出来ないし、場合によっては
差別を訴える作品を殺しちゃうでしょ?

ということを言いたいんですよね。





なので、これから書くことは
あくまでこういう表現がされているよ
という指摘に過ぎなくて、

それをもって、
ただちに作品や作者を貶めることは
出来ないし、そのつもりもない
ということは断っておきます。

尾田先生や鳥山先生を
ディスってるんじゃないってことですね。




さて。

漫画において
男女はどのように描かれているのか
というのを考える上で、

一番わかりやすいのは
ブルマと悟飯を対比すること
じゃないかなと私は思います。















とある魔術の禁書目録
というラノベの読者が女にも
拳で殴り掛かる主人公を茶化して

男女平等パンチ

と表現していたんですけど、
これって

「女は殴っちゃいけない」
という価値観を前提にして
名付けられた言葉なんですね。










ここでさらに視点を拡大してみると

大抵のバトル漫画では
女性は戦いの場から外されている
んですね。


ブルマとか凄くわかりやすいです。

フリーザ編の時は
基本、洞窟に隠れているだけでした。


そういう意味では、
ドラゴンボールは完全な男社会で
出来上がっていて、女性は蚊帳の外
なんですけど、その一方で、終始、
安全な場所にいても許されるんですよ。





悟飯なんて子供でも容赦なしに
首の骨を折られるのにね。


チャオズごとき弱者でも
サイヤ人編では戦場に出てきて
自爆して死んでしまいます。



ヤムチャも戦力にならないのに
ノコノコ出てきて、その結果、

人造人間に体を貫かれたり
セルジュニアに腕を折られたり
散々な目にあっているわけですよ。




確かにドラゴンボールでは大事なことを
全部、男性が決めているのだけど、

その一方で、当の男性もそれなりのリスクを
背負っていて、実際、敵キャラも含めて
ほとんどの男は殺されているんですね。


ヤムチャとか、セル編の時は
「俺は戦わねーぞ!見物だけだからな!
なんて言ってますけど、マジで
逃げたかったんだと思いますよ(汗)


でも、漫画の構造上、
ヤツは男なので戦わなくてはいけないし、
映画版ベジータが典型的だけど、
戦わない男はクズ認定されるわけです。

つーか、サイヤ人自体が
戦えない男はゴミ以下の扱いを
受ける社会で生きていますからね。


女性差別の裏側では、
男性差別が行われていて、

ひと続きになっているわけです。




悟空がダメ親父に認定される理由として
「働いていないから」というのが
よく挙げられるのですが、


これって男は家庭を養うために働くべし
という価値観があるから叩かれるんですね。


それは女性は家の中で子供を育てるべし
という考えとセットになっていて、

だからこそ、
奥さんのチチは働いていなくても
さほど叩かれないわけです。




現実でも、過労死で一番やられるのは
40代の男性だという調査結果が出ています。


退職や転職がしづらい環境にいる人たちが
家族のために無理をして死んでしまう。


一方で、イクメンという言葉が
少し流行りましたが、これは主夫ではなく、
育児と仕事が両立できる男性を指すんですよね。


働かない男性というのを
徹底的に認めようとしない世間の厳しさを
ひしひしと感じて、いたたまれないです。


女性は、社会進出が遅々として進まない一方で、
良妻賢母であることを条件に労働を免除されている。

これに対して男性は、どこまで行っても
「働かないのは男失格」という
イメージに縛られて生きているんですね。





宇崎ちゃんのイラストが
問題視される一方で、フランキーの
海パン一丁の格好が叩かれないのは なぜか?

実際、こういう股間の輪郭が
浮き出てくるようなパンツは
大抵の男の人は嫌だろうに、
それでも自称フェミニストが
問題視しないのはなぜか?


その一つの理由として
男はタフだから多少、乱暴に扱っても
問題ないという通念があげられるはずです。




別に自称フェミニストが
男性差別をしているから
何も言わないんだということではなく。

男とか女とか関係なく、
誰もが当たり前のように持っている
価値観が冷静に考えればおかしいことを
スルーさせているんですね。


力仕事は若い男に押し付けるとか、
男の性的経験がないことをからかうとかは
男性同士で行っていることでもあります。



あくまで私の身の回りの話ですが、
童貞をネタにしたがるのは、
女性より男性のほうが多いと思います。






 

また、性的経験に関して付け加えれば、
童貞を馬鹿にする声がでかい一方で、
処女は重宝されるんですよね。


よく知らないけど、
宇崎ちゃんも処女だと思うんですよ。

元カレが5人も6人もいるとは
思わないです。


何が言いたいかというと、

女性はあくまで
1人の男を愛すべし

という考えの裏には、

股間のエクスカリバーを
解放せずして何が男か
という圧迫があるんですね。


こういう苦しさというのは
男性が女性に、あるいは女性が男性に
押し付けられるものではありません。



処女信仰を例にすれば、
恋人が多数いる女性や
男をとっかえひっかえする女性を
はしたないと思うのは女だって同じ
ってことです。



ある社会で概ね了解されている
男らしさ(男性観)や女らしさ(女性観)
が、その人物の行動に大きく影響していて、

そこでは男VS女という
わかりやすい図では決して説明できない
複雑な関係が横たわっているんですね。





ドラゴンボールにしたって、
ブルマが少年悟空に股間を触られたり、
亀仙人に要求されてスカートを
たくし上げる一方で、

ヤムチャが股間を頭突きされて
悶えている光景が笑いのネタに
されているんですよね。


めちゃくちゃ痛いはずなんだけど、

そういうのを見て
ゲラゲラ笑う風潮が連載当時の
日本にはあったし、もしかすると
今だってあるかもしれないんですね。





私が反対者のツイートを読んで
疑問に感じたのがまさにそこで、

女性が一方的に男性に
いじめられている社会というのを
前提に話していないか?ってことなんですよ。


先行研究を読む限り、
少なくとも20年以上前から
そういう社会観は見直されているはず
なんですけどね。


あと、表現が問題だというのも
大いに疑問で、仮に宇崎ちゃんという
漫画が大変差別的なものだったとして、

ヒロインの胸を描き直すことで
作品そのものの女性観は修正されるのか?
と思うんですよね。



(プロデューサーが神である世界)


胸の大きさとは関係なしに
差別的な漫画は差別的ですよ。


大事なのはどう描かれているか
だと思います。


特にメディアミックスのように
複数の作者が存在するコンテンツでは
一方で差別的な描写があり、その一方で
多様性を主張する描写もあって、

一概にこれはOK、これはNGと
評価しづらい所があるんですよね。


だから差別的描写を容認しろって
ことを言いたいのではなく、

作品の評価には一朝一夕で
判断出来ない難しさがあるのに
非常に短絡的に決断を下していませんか?
ということが言いたいのです。




長々と話しましたけど、
もう少し最近のジェンダー研究の
潮流を学んだうえで騒いでほしかったし、

騒いでいる人の中に
ジェンダー研究をしていると自称している
人もいて、それは大変迷惑に思いました。

フェミニズムって
男性や同性愛者も射程に含んだもの
なので、男性を敵視する道具にされるのは
どうもなーって気分ですね。


もちろん、宇崎ちゃん自体が
性差別を積極的に煽る内容だったら
私も文句を言っただろうけど、

批判者はストーリーや
キャラクターの描き方ではなく、
胸を大きく描いたというだけで
女性の心を踏みにじったとか
傷つけられたとか言っていますからね。

違うだろって・・・思いますねぇ

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データが消えました・・・



先に言っておくと、ぷよクエではなく、
記事のデータが消えたという話です。

期待した人、ごめんね。





何を書いていたかというと、
宇崎ちゃんポスター問題について
そもそも、漫画やアニメにおける
ジェンダーの描写はどうなってるのか
というのをドラゴンボールやワンピース
を事例に説明していたのですよ。


宇崎ちゃんポスター問題っていうのは
女性の胸を誇張した絵を公共の場で
さらすのは差別だと自称フェミニストが
騒いだっていう事件で、

個人的には
こんな化石みたいな連中
まだ生き残っていたのか
少々、愕然としたんですよね。




一方で日頃は差別上等、弾圧余裕の
愛国者様が、ここぞとばかりに
表現の自由をほざいてましてね。


両者に共通するのは
これは公に出してOK,これはNGという
のを「俺がそう思うから」で決めつけて、
自分たちの意に反する人物を
国賊とか女性差別主義者とか呼んで
話を聞こうとしないところでして、
正直、同類なんですよね。





フェミニズムっていうと
女性のことしか考えないっていう
イメージが持たれていて、


なんだったら
男性が女性を締め付けている
この糞ったれな社会を変えてやるぜー!
という思想だと思われているんだけど

そんなんじゃないです。


ていうか、むしろ男性を敵視するような
考えとは対極の立場なんですぜ
っていうのを書いていたら

突然、ページが謎の更新をして
文章が白紙化したんですよ。

忍者ブログ、こういうのがあるから
許せんぜよ。ガッデームですね。




まぁ、難しい話をしてもしょうもないので

この前の娯楽における性描写の話と絡めて
漫画では男や女をどう表現してきたのか
というサブカルっぽい話を書くつもりです。

今日の夜にアップしますので、
良かったら読んでもらえたら嬉しいです。


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プロフィール

HN:
鬼龍(キリュー)
性別:
非公開
自己紹介:
愛と勇気と誇りをもって戦う孤高のぷよリスト。好きなものは勝利という名の美酒、嫌いなものはネトウヨです。


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